鳥あるいはDolly

Dollyは人形でクローン羊でロリータ

『初恋』トゥルゲーネフ

青空文庫で一度読んだけれど、解説を知りたくなったのと別の訳が読みたくなったので購入した。ネタバレあり。

まずこれ、ネタバレなしで感想書くの無理。だって私が特に強い感想を抱いたのが、当のネタバレ部分なのだから。

 

あらすじとしては、16歳の主人公が隣に越してきた21歳の公爵令嬢ジナイーダに恋をする話。主人公がジナイーダを想うときの気持ちのアップダウンとか、ジナイーダの挙動をひとつも見逃すまいとするような表現とかがすごくよかった。

ジナイーダもコケティッシュで可愛らしい。4人の取り巻きたちとゲームに興じて乱痴気騒ぎをおこしたりしているけれど、肝の部分では気高くて女王然と対処するギャップが魅力的だ。公爵令嬢としての教養は身についている人なので、フランス語も流暢だし作法もしっかりしている。

 

主人公と取り巻きたちに対して自由奔放に過ごしていたジナイーダが途中、恋をして変わってしまう。そしてその相手が主人公の父なのだ。(この部分がネタバレ)

息子から「晴れやかで聡明で端正な顔」「いつも優雅に、あっさり、父ならではの雰囲気で洋服を着こなしていた」「その姿がりりしく見えた」と表現されるほどのお父様なので、余裕ある大人の男性という感じでかっこいいのだろう。

主人公目線なので、父とジナイーダがどのように接近して恋仲になったのか詳細はわからないけれど、私がこの小説を読んで一番興味をもったのがこの二人だった。主人公のウラジミールが、私のなかでは完全に空気なのでちょっと申し訳ない。

 

主人公の両親は母親の方が10歳年上で、父親は財産目当てで結婚した美男子とくれば、この父親が遊んでいないわけがない。最初は本を読みながら歩いているジナイーダに対する挨拶、次は主人公の家での夕食会でのジナイーダの相手。

「取れるものは自分で取るんだ。」「自分の意志で望むことができれば、自由にもなれるし、まわりの人間に采配をふるうこともできる。」と家庭以外のものを愛し堪能したこの父親と、「上から見おろさなくちゃならないような人なんか愛せないわ。逆に私を抑えつけるような人じゃなくちゃいや。」と言うジナイーダが多分その次に接触したのが、父親が御者に準備させていた馬をキャンセルしてザキーセン家(ジナイーダのうち)のなかへ入っていったときだと思う。そのあとのジナイーダの様子は明らかに少しおかしいからだ。

何があったかは明らかにされていないし、わからない。けれど二人が、気持ちの上か肉体的な(キスとか)上かのどちらかで、ある一線を越えたのは間違いないと思う。そして父親のほうは多分今までと同じように””家のつながりと個人の恋愛は別もの””だと考えて、ジナイーダとの恋を楽しむつもりだったのだろう。別荘に来ているだけなのだから、多分それほど深入りする気もなかった。

けれどもジナイーダはまだ二十歳そこそこの女性で、公爵令嬢という肩書は立派でも父親はなく母親の出身身分は低い。良い結婚ができるならとうにしている年齢だろうし、品定めする目で取り巻きの男性を見ているようでは真剣な恋はできかったと思う。

それに加えて結婚は家同士のつながりという意味が強い。常に金の工面に奔走しているジナイーダの母親をみるに、ジナイーダは金持ちとの結婚を余儀なくされるだろう。(そして実際彼女は終盤、財産のある立派な男とやらと結婚している。そこに恋愛感情が介在しているのかはわからない。)

 

ジナイーダにとって、主人公ウラジーミルの父との恋愛は初めての恋で、しかもこの恋の相手は始めから恋の辛さを内蔵していた。

「私のこと、とても愛してる?」とウラジミールに聞くジナイーダは続けて「そうよね」と言う。「同じ目をしているもの」と。これはウラジミールの父が、ウラジミールと同じ目でジナイーダを見ている、という意味とウラジミールの父を愛しているジナイーダ自身がウラジミールと同じ目で彼の父を見ている、という意味だと思う。私がウラジミールの父を愛しているのは間違いなく、私はウラジミールと同じように愛するものを見る目で彼の父を見ているという自覚がジナイーダにはある。そしてだからこそ「この先どうなるんだろう!」「いっそのこと地の果てにでも行ってしまいたい」「こんなこと我慢できない、うまくやっていけない」と嘆くのだ。

ジナイーダのこの恋の一途さ真剣さは、初恋ならではのような気がする。しかしジナイーダには困難な恋ゆえの覚悟があったのではないだろうか。それが主人公であるウラジミールとの違いであり、その後の展開でウラジミールが鞭で打たれた彼女の仕草に驚くことにつながる。

 

結局ジナイーダとウラジミールの父との噂は周囲にばれてしまい、ウラジミールたちは別荘をあとにする。ジナイーダは醜聞に耐えながらも結婚してその地を去った。

ウラジミール一家はモスクワに引っ越し、ウラジミールは父と馬で遠乗りする機会を得る。そして、馬を休ませている間に父がウラジミールを残して立ち寄った先を、ウラジミールは盗み見ることになる。そこにジナイーダがいたのだ。

 二人は何かを言い争っており、父が言い張っていることにジナイーダが納得していない様子だった。そのときのジナイーダの表情を、ウラジミールは「心からの献身と憂愁と愛と絶望のようなものがないまぜになった」と表現している。

そしてウラジミールの父がそれらのやり取りに苛つきだしたとき、ジナイーダが片手を差し伸べ、その手をウラジミールの父が鞭で打ちすえるのだ。ジナイーダは黙って父の顔を見やってから、真っ赤になった腕の痕にキスをする。そしてウラジミールの父は急いで家のなかに飛びこむ。

ウラジミール自身はショックをうけてその場を立ち去った。誇り高いジナイーダが打たれたこと、打たれたことを彼女が甘んじて受け入れたことにウラジミールは驚いている。

このあと、ウラジミールの父はジナイーダを打った鞭を捨てて戻ってくるのだけど、この一連のできごともウラジミール目線だとどうにもよくわからない。勝手な想像を許してもらえれば、ジナイーダは父を愛していながらも彼の要求を拒み、しかし結果的に最後の逢瀬とした、という感じなんだと思う。

愛する人からもらったものは、瑕ですら愛おしい。

私にわかるのは、ジナイーダのこの行動くらいだ。そしてこれはジナイーダの強さだ。ウラジミールの父を多分まだ愛していたにもかかわらず、彼とずるずる続けずに最終的に別れたのも彼女の強さだと思う。自分を見捨てて土地を去った恋人がのこのこと会いにくる。まだ愛してはいる、けれども彼のほうは自分を、自分が彼を愛するほどには愛していなかったとジナイーダは認めたのだ。

それにしてもよく訪ねてこれたものだ、と思う。自分の魅力がわかっている男の自惚れはすごいな。会って肌を重ねれば言葉を交わせば、逃げた仕打ちを許してもらえて今まで通り付き合えるとでも思っていたんだろうか。

結局、ウラジミールの父は鞭と一緒に彼女をも捨てて(諦めて)きた。

 

ウラジミールの父はその後卒中で亡くなるのだが、死ぬ間際ウラジミールに「女の愛がもたらす幸にも毒にも気をつけるがいい」と残す。そして彼の死後、ウラジミールの母親はモスクワにかなりの額のお金を送ったとある。ジナイーダに当てたものだろう。

そのジナイーダもその後、お産で亡くなるのだけど。

「女の愛がもたらす毒」私にはよくわからない。男が女の何に恐れ慄いてるのか。何が男を蝕むのか。でもこの言葉は、ウラジミールの父とジナイーダの関係を凝縮したものだと思っている。

『初恋』はウラジミール本人の年齢で読むときと、父の年齢で読むときとで違う感じ方のできる本であり、ジナイーダの視点に立つとまた違った感じ方になるので、人によって全く異なる解釈なり感想になるのではなかろうか。