鳥あるいはDolly

Dollyは人形でクローン羊でロリータ

『男子のための恋愛検定』

図書館で中高生向けの新書を探していたときに見つけた本。ぱらぱらと立ち読みしていたら、これで感想書きたいなと思ったので借りてきた。

全部は読んでなくて太字の部分のみを拾い読みしたのだけど、ロジカルであまりにも身も蓋もない恋の説明が良かった。恋を知っているものにとっては首肯する内容だと思う。

恋は取り扱い危険物

恋は犯罪の温床!

初っ端から飛ばしてくる。まあ確かにその通りなんだけど。痴情のもつれでのごたごた(殺人とか暴力とか)みたいなのはニュースにもなるし、古今東西どこでも物語になっているし、ミステリーとかでも動機が「痴情のもつれ」とかだと普通にみんななるほどって納得してしまうしね。恋愛もので描かれているようなステキなことばっかりじゃないんだよ~という導入。

「恋」とは何か?

だいたい、たった一人の相手のことが好きで好きでしかたなくなるなんて、どこかおかしくはないか?

いや、まあそれ言われると確かにそうなんだよ。この章はすごく秀逸で、例えにじゃがいもが出てくるんだけど、恋とは一山いくらのじゃがいものの中から、ひとつだけどうしてもむしょうに欲しくてしかたないじゃがいもが見いだされるような体験、と表現する。それは固執と執着で、珍妙な熱狂で、正気を欠いた状態なのだ。

「恋」とは一人の相手に気持ちがロックオンしてしまう原因不明の症状。

どうして原因不明なのかっていうと、じゃがいもの例えでもわかるように、ひとりの人間の差異なんてワイドに引いてみたら現実的に大してあるわけではない、ということ。まあ確かに。坂系グループのメンバーみても区別がつかない私は納得。

「恋」は相手など関係ない、自分自身の欲望なのだ。

正気を欠いた状態で、自分が愛されたいという願望が増幅するとそれが妄想に膨らむ。それに加えて判断力も鈍らせる。

これらは恋のマイナス効果だけど、恋に落ちた状態の自分の欲望に向き合うことができると、自分が「本当に」欲しているものが結構わかったりする。恋ってやつは相手がいないと陥らない状態ではあるけれど、実は一番自分自身を知る機会なのだと私自身は思っている。

ここではそれを「人は自分の中に自分を眺める視線を強く持つようになる」と言っていて、それは「他者への想像力であり、繊細さだ」と恋のプラス効果としている。

あとまあ、恋愛は人と関わるときの距離の取り方を実践的に教えてくれる、とある。人によって違うからね、距離感。マニュアル通りにはいかないものっていうのは、確かに実践で経験を積むしかない。

「恋」の成分

「恋」における「好感」は「家族愛」や「友情」よりもずっと振幅が大きい。

ちょっとしたことで一喜一憂したりね。ドラマにも物語にもなるから、体験してなくてもわかると思うけど、体験するとまさに「とりつかれている状態」に他ならないというね。長くは続かないけど、一種の興奮状態だから。

「独占欲」は、誰にも自分たちの間に入ってきてほしくない、何よりも自分を尊重してほしい、他の誰にも目を向けないでほしというふうに、相手を自分の世界に閉じ込めようとする欲望かもしれない。

この「相手を自分の世界に閉じ込めようとする欲望」はフロムの『愛するということ』では愛ではない!と一刀両断されているけれど、まあ今話しているのは「恋」だし。閑話休題

そうすると「お付き合いしてください」っていう告白は「二人で閉じた世界をつくろう」っていうお誘いですね。独占欲そのものは恋に限ったものではないけれど、恋愛だと表面化しやすくて、一般的にも理解されやすい。支配とか所有とも親和性が高い。

「恋愛資源」のABC

人間修行の場としての「恋愛」に代わるものはなかなかない(略)

「恋愛」でもしないかぎり、自分という枠組みが揺るがされるような心の経験はあまりできないし、自身を外側から眺めざるをえない場面も与えられないだろう。

これね。はたから見れば恋って滑稽で恐ろしいものだけど、このある種の忘我状態というか狂気を体験して知っているのと知らないのとでは人に対する優しさが違ってくるような気がしてる。意識的に恋に落ちることはできないから、恋をしろとは言えないが。

「恋」している相手は、自分の作り出した幻影だ。

そうそう。だから恋の始まりは「あなたのことをもっと知りたいわ」なんだし、別れるときは「あんたって人間がよくわかったよ」なんだよね。

「恋愛」はなぜ「切ない」のか

少なからずの男子は、自分を開き、癒しを求められる他人が彼女だけだったりする。そうすると、自分のふだん見せない部分をさらけ出した相手に、「失恋」という形でノーを突きつけられることは、自分の存在そのものを否定されたことにもつながりかねない。

これはちょっとお気の毒としか言いようがないというか。自分で何とかして。

これは男子に限った話ではないけれど、恋人の役割の人に自分の甘えを全部のっけるのが証、みたいなのとか若いうちに経験して克服しておかないとね、あとになればなるほど辛いから。

まとめ

とまあ気になったところだけざっくりピックアップしてコメントしてみた。途中、恋は落ちようと思ってできるものではないと言ったけど、恋そのものが錯覚みたいなものなので「恋だと思ったけどそうじゃなかった」みたいなのでも精神修行だと思ってやってみればいいんじゃない?と思う。ただ自分自身に向き合わない精神修行は、たとえ恋の状態だったとしても疲弊するだけなんでおススメしないけど。