鳥あるいはDolly

Dollyは人形でクローン羊でロリータ

『感応グラン=ギニョル』

Twitterで見かけて購入した本。すごくよかった。

表題作を含む5編の短編が収録されている。

感応グラン=ギニョル

誰かの瑕を見たいと思う気持ち。誰かに瑕を見られたいという想い。それから痛みと苦しみの記憶。

近頃は人間そのものがコンテンツだ。リアリティショーも、ワイドショーも、アイドルのオーディションも、人が努力した末の苦悩や悲しみや喜びなんかをネタにする。それらはリアルであるようでリアルではない。想像力を喚起させる見せ方をし、欲望を掻き立てる与え方をする。その断片が「もっと。もっと」と劣情を煽る。

「感応グラン=ギニョル」はそういう人間のどうしようもない欲の話だ。

地獄を縫い取る

クロエの瞳は優越の色に濡れていた。わたしの内奥を見透かしてみせることで、身体だけでなく心まで支配してやろうという、淫らで野蛮な色彩だ。

他人を「理解」しようとするおぞましさを、わかりやすく表現してある。なんのために「理解」するのか。支配するためである。

何を悄気返っているんだ、この豚め。浅ましい妄想を垂れ流した上、自分勝手にそれを他人に押し付けて悦に入ろうとしていた豚が、自分の幻想を壊されたからって拗ねるなよ。

一方的な他人に対する理解なんてただの幻想にすぎない。理解したいと思うのは勝手だけど。

「地獄を縫い取る」は搾取の物語だ。「感応グラン=ギニョル」が搾取を搾取と思わずに、人間性をコンテンツ化して奪っている話ならば、「地獄を縫い取る」は搾取される側がその苦しみをそっくりそのまま相手に返す話だった。

メタモルフォルシスの龍

親密な付き合い、濃密な関係、秘密の交流ーーそれらは不健全なものとされ、忌避された。恋に落ちてしまうのを防ぐためだ。

恋の敗残者は蛇か蝦蟇になる世界の話。蛇と化した女は相手の男を丸呑みしたいと欲望する。

丸呑みしたところで、蛇体化した身体が人に戻ることはないのだろう。だって恋を知らずにいて、失恋の苦しみを体験していない以前の自分にはもう戻れないのだから。自分を捨てた男を殺すという表現をせず「丸呑みする」というのは存在を消し去るというより、存在を取り込むという意味を持っていると思う。一度でも愛し憎み、諦めきれない存在をせめてこの身の一部にしたい。

花物語

〈花屍〉が〈花屍〉を想う感情は、畢竟、食慾に根差したものに過ぎません。〈花屍〉は食べない、けれども、ヒトの部分に焦がれ、惹かれ、そそられる。其の矛盾を、戀心と錯覚する事で受け容れようとする生理的な反応。

そうやって、恋心と錯覚した様々な欲がありそうな気がしている。性欲、庇護欲、支配欲、愛玩etc

Rampo Sicks

美醜の話。美をどう捉えるかは本当に難しい。人の美しさって容姿だけではなかったりするし、パーツの美しさにのみこだわる人もいるし。

 

そして「あたしの価値は、あたしが決める」いい言葉だ。